エクシブ箱根離宮 散策倶楽部
『美術館めぐりvol.5 小涌谷編 ~箱根最大の美術館 岡田美術館と藤田男爵の別邸~』
2014年7月10日(木)

エクシブ箱根離宮7月の散策倶楽部です♪
小涌谷を舞台に、2013年秋に開館した岡田美術館をたっっっっぷりとご散策いたします。
今回は、5組7名のお客様にご参加頂き、現役日本画家の芳澤一夫先生、岡信孝先生の気のおもむくままにご案内いただきました♪


当日は今にも雨が降りそうな曇天の中、エクシブ箱根離宮のエントランスにてまずは本日のスケジュールの確認です。

その後、ホテル前からバスで小涌谷まで行き、岡田美術館にて、改めて本日の講師も含め本日のスケジュールの確認です。

ここで今回、ご案内いただく方のご紹介を簡単に…
お写真左手の芳澤一夫先生は、いつも箱根離宮のスケッチ倶楽部でお世話になっている現役日本画家の方です。小田原市在住で、小田原駅の大きなステンドグラスの原画を作成された方なんです!

ちなみにこちらが小田原駅にある芳澤先生の作品です!JR小田原駅の改札手前左に飾られています。


そして、お写真右手は岡信孝先生。岡先生は、祖父に日本画壇の巨匠の川端龍子、義父に益子焼の大家、浜田庄司という芸術家に囲まれ、画家でありながら様々な作品を集めるコレクターでもいらっしゃいます。今回は芳澤先生が岡先生にも岡田美術館を見てほしい!とのことで同行していただきました☆このような日本画壇のトップに位置する方に触れられるだけでもものすごい貴重な時間です!!

さらに岡田美術館の学芸員である福永さんにもサポートいただきます!

では早速岡田美術館館内へ。
今回はまず企画展を行っている2階に直行いたしました!

皆様1つの作品を取り囲んで熱心です!作品は撮影不可ですのでここでお伝えできないのが残念です。是非、岡田美術館に足をお運びください♪

いちなみにこのような作品が展示されていました。
9/30まで記念展、『―中国人の魂―玉器の名品展』が行われております。
玉=石を使った器です。古くは王室だけのもので、君子の象徴とされていました。清時代以降、民間でも作られるようになり、今回展示されているこれらの作品は民の最高レベルのものだということです。写真の作品は、緑と褐色の色変わりを生かし、花や虫を繊細に彫刻した器でとても繊細な器でした。

現役の日本画家である芳澤先生と岡先生の作家の視点からと学芸員の福永さんの歴史的背景からの話がシンクロし、芸術品の見方が参加者全員どんどんと変わっていきます。いつもだったら数分しか立ち止まらない場所がずっと立ち止まってしまい、まったく先へ進まなくなってしまいます!

館内では皆様、作品について岡先生たちにいろいろ聞いているようです。普段お会いできない先生方と気軽にお話できて勉強になることばかりですね。

たっぷりと美術品を堪能しつつも、5フロアあるうちの2フロアしか見ずして、午前中のプログラムは終了!後ろ髪を引かれつつ、次のスポットであるランチ会場へ♪

お昼の会場へはコチラ、小涌園の象徴・ユネッサンを通って向かいます。
その先に待っているお昼の会場とは…?

かわいらしいユネッサンを抜けたところにあったのは、素敵な日本庭園と大正ロマンあふれる建物でした☆
この建物は一時期は三井、三菱などと並ぶ財閥の藤田家、藤田平太郎の別邸として建てられたものです。

代々、藤田家が箱根に来ると定宿にしていたのは、現在のエクシブ箱根離宮の立っていた宮ノ下の奈良屋旅館でしたが、旅館では不自由な面もあったのか、大正7年(1918年)に平八郎の息子、平太郎の妻、富子の設計による純和風の別荘を建設しました。京都の庭師が手がけた庭園は、建物に対する風の影響を考え、極力落葉樹を省いた庭づくりとなっています。建築も京都から招かれた宮大工の知恵と技術により、床下には湿気を防ぐため一尺近くの炭が敷き詰められ、廊下の床下には鉄板が入れられ、自然の驚異にはびくともしない頑丈な建物として完成しました。平太郎が昭和15年(1940年)に亡くなった後も藤田家の別荘として愛用されていましたが、戦後の財閥解体を経て、小川栄一(藤田観光初代社長)が譲り受け、昭和23年(1948年)7月に名称を「小涌園」と命名し、旅館として開業。今では一大温泉リゾートとなった「箱根小涌園」の第一歩を歩み始めました。この建物は平成13年には国の有形登録文化財に指定され、現在では「箱根茶寮 椿山荘」という名称の蕎麦処となっています。



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