エクシブ箱根離宮 散策倶楽部
『地元民がご案内!箱根路地裏散策vol.15 小田原編②
~兵どもが夢のあと・・・ 秀吉・小田原攻めの本陣「一夜城」を巡る~』
2014年10月8日(水)

だんだんと涼しくなり、秋の深まりを予期させる気候となってきました。
そんな今回の散策倶楽部は、大河ドラマ「軍師官兵衛」の舞台ともなる一夜城を舞台とした散策です。
この日は2組3名様にご参加いただきました!今日は特に濃~い1日を過ごしていただけそうです!


今回は一旦ホテルから箱根登山鉄道の箱根板橋駅まで移動していただき、 そちらから一夜城に向けて登って行きます。

お客様とスタッフ全員の集合ができ、本日のオリエンテーションを行います。 今回ガイドをしてくださるのは、「小田原の城と緑を考える会」の「山本篤志」さんです。 今回は小田原・北条氏の法被を着てガイドしてくださいました。 背中には北条氏の家紋「三つ鱗」の印が描かれています。


さて、いよいよ出発です!最近は、秋の様相になり一気に冷え込んできていましたが、今日はなんともぽかぽかのお天気。水分を小まめにとっていい汗をかいていきましょう!

出発してまもなく、第一の立ち寄りスポットがありました。

嘉吉元年である1441年に、当時の小田原城主であった大森氏によって建立された「宝珠山 海蔵寺」です。

住宅地に囲まれながらも、ひっそりとした参道を歩いていきます。歴史深いお寺がこのように住宅地に隣接してあるとは不思議な気持ちがします。

看板の後方に植わっているのは「ビラン樹」という木で、樹皮が剥がれやすく、別名「ハダカの木」とも言われます。 この早川地域に植わっているものが最北端のものであるとされます。ここの近くに国指定天然記念物の「早川のビランジュ」があります。

この海蔵寺は、箱根板橋の松永記念館すぐ目の前の「香林寺」、小田原にある総世寺(そうせいじ)と同じ年代に建立されたものです。これらの3つのお寺を合わせて、「曹洞宗小田原三山」といわれます。 また、総世寺にある銅鐘は、秀吉の養子ともなった羽柴秀次が寄進したものだと伝えられています。

海蔵寺から脇に抜け、階段をのぼり、見晴らしの良い高台までいくと…

堀秀政の供養塔があります。 天正18年の小田原攻めの際、病に倒れた秀政はその後海蔵寺に埋葬され、小田原城天守閣と相模湾の展望がきく、この地に供養塔を建てられました。

看板の下方に並ぶものは「五輪塔」と呼ばれ、地水火風空の五元素を表すものです。 5つの輪が積み重なる構造で、下からそれぞれ地水火風空を抽象化させたものなのだといいます。

そして、こちらが堀秀政とその家臣たちの供養塔です。どれが秀政の供養塔であるかは定かではないようです。 石碑に彫られた文字は読みやすいよう、赤字で埋められていました。このように文字が読みにくくなってしまっている場合には、拓本をとることもあるそうです。

堀秀政の供養塔を越え、ずーっと長く続く坂道を上っていきます。 ここからが“登り”の本番!気を引き締めて、みなさんで上っていきましょう!

振り返ってみると、もうそこはすでに標高が高く、山に囲まれ聳え立つ小田原城の天守閣と、小田原の町を一望することができました。よく「小田原城」と指す、あの建物はあくまで「天守閣」であってお城ではないとのこと。 「なるほど~」とみなさん。お勉強になります! また小田原攻めのあった天正18年(1590年)には、小田原城には現在のお城のような天守閣はありませんでした。

道沿いに看板を発見しました。石垣山一夜城歴史公園までの道沿いに全部で8人の小田原攻めの際に一夜城に参陣した重要人物が紹介されています。それぞれの看板を目標通過地点として、お勉強を楽しみながら上っていきましょう!


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