エクシブ箱根離宮 散策倶楽部
『地元民がご案内!箱根路地裏散策vol.15 小田原編②
~兵どもが夢のあと・・・ 秀吉・小田原攻めの本陣「一夜城」を巡る~』
2014年10月16日(木)

前日とはうってかわった、雲一つない秋晴れのこの日、エクシブ箱根離宮10月の散策倶楽部2回目を開催いたしました!
今回の散策倶楽部の舞台は、NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」でも話題の“小田原一夜城”。豊臣秀吉が小田原北条氏を攻め落とすために建てた城跡まで、黒田官兵衛や豊臣秀吉に思いを馳せながらかつて武将たちが通ったであろう道を歩いていきます♪
そして今回定員15名の中、4組17名様というたくさんの方にご参加いただくことができました。本当にありがとうございます!


まずはエクシブ箱根離宮のロビーに集合し、簡単なオリエンテーション後に出発です。

エクシブ箱根離宮の目の前にある宮ノ下温泉停留所からバスに乗って箱根板橋駅まで向かいます。

箱根板橋駅にて現地合流のお客様とガイドの山本さんと合流して再度オリエンテーションです。

今回ガイドをしてくださるのは、「小田原の城と緑を考える会」の「山本篤志」さんです。山本さんは神奈川県平塚市の出身ながら、小田原の城に魅せられ、小田原の街づくりなどに力をいれていらっしゃいます。

山本さんは小田原・北条氏の法被を着てガイドしてくださいました。背中には北条氏の家紋「三つ鱗」の印が描かれています。

遠くに見える山が本日の目的地である「一夜城」のある石垣山です! 意外に遠くに見えますが、がんばって歩いていきましょう♪

歩き始めて2分!看板も見えてきました。

歩き始めて15分ほどで、お寺に入っていきます。海蔵寺… ここは一体…??

海蔵寺の墓地の中にあるこちらは、戦国武将:堀 秀政の供養塔です。 堀秀政は織田信長に仕えていた武将ですが、信長死後は秀吉へ仕え、秀吉一族以外で初めて羽柴氏という苗字を与えられたといわれています。小田原攻めの際には、この海蔵寺に陣を構えましたが、疫病にかかり享年38歳で死去いたしました。

ここから、石垣山の登山道である関白道を登っていきます!関白道沿いには小田原攻めに関わる重要な8人の武将の物語が記されています。 1枚目は先ほど供養塔を見た堀秀政です。

痛いぐらいの日差しの中、みなさん元気に登られていきます!

関白道からのビュースポットです。左手のこんもりとした山は、小田原攻めの際、当初は小田原北条氏の出城でしたが、秀吉軍の細川忠興(細川ガラシャの夫)の陣城になっていました。 また、石垣山の下には箱根から流れる早川が流れています。この早川が一夜城の天然の堀としての役割を果たしていたそうです。

2枚目の武将は言わずと知れた伊達政宗です。 小田原攻めの際は、秀吉につくか迷って参戦が遅れました。秀吉に接見する際、白装束をまとい死ぬ覚悟を表すことで遅参したことを謝罪しました。 そして一時、エクシブ箱根離宮がある宮ノ下に幽閉されたそうです。

3枚目の武将は宇喜多秀家です。 秀吉に寵愛されていたことから“秀”の字をもらったとのこと。 秀吉につきながらも、小田原攻めの際には、北条氏とも付き合いがあり、小田原籠城中には敵同士ながら酒や肴を送りあっていたんですって!

4枚目の武将は徳川家康です。 徳川家康も伊達政宗と同じく最初は北条氏と同盟を結んでいました。 しかし、秀吉のお姉さんやお母さんを差し出され、秀吉に懐柔し、小田原籠城では、北条氏にも誠意を見せるべく、一番危険なところに陣を張ったそうです。

一夜城にまつわる武将、1枚1枚、ガイドの山本さんのお話を聞くことで、ただ看板を見るだけではわからないことをお話しいただき、みなさま興味津々です♪


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