エクシブ箱根離宮 散策倶楽部
『地元民がご案内!箱根路地裏散策vol.17 元箱根編②
~浜美枝邸でのイタリアンランチと知られざる元箱根巡り~』
2015年4月22日(水)

今年度初のエクシブ箱根離宮散策倶楽部が開催されました。
今回は箱根の知られざる名所、パール・下中記念館・箱根やまぼうし、そして歴史詰まる箱根関所へ散策に出かけました。
定員15名様の中、今回は定員をはるかに超える23名様にご参加いただきました!!


まずはロビーでオリエンテーションです。
ご参加の方でエクシブ箱根離宮のロビーが埋まってしまいました。

さて、エクシブ箱根離宮を出発し、芦ノ湖畔にあるバスの終点、箱根町へ向かいます!

箱根町に到着です!
晴天のこの日、箱根町から綺麗な富士山が見えました。

現地集合のお客様ともここで集合し第一の目的地、パール・下中記念館へ向かいます。

さて、パール・下中記念館をご存じの方いらっしゃるでしょうか・・・?
インドのラダビノード・パール博士と、平凡社の創業者でありパール博士と共に世界連邦の理想実現に努力した下中彌三郎氏の偉業と徳をたたえる記念館です。

パール・下中記念館をご案内いただいた廣川さんです。
とってもかわいらしいキャラクターで記念館をご案内いただきました。
さてこの記念館がたたえるパール博士、パール判事といえばご存知の方もいるでしょう。ご参加の方も約半数の方がご存知でした。
パール判事は第二次世界大戦後の極東国際軍事裁判(通称:東京裁判)の11人の連合国の判事の1人であり、そのなかで唯一日本無罪論を訴えた方です。

館内に入るとまずあるこの椅子。
約半年にも及ぶ東京裁判の中パール判事が仕事をしていた椅子です。
日本無罪論といってもパール判事は日本を擁護したわけではありません。
国際法にのっとってみたとき、戦後に作った法律で裁くのは違法であると訴えたのです。
この意見書は講和条約で日本独立するまで公開されませんでした。

廣川さんのお話を聞きながら、お客様同士、戦時中の話を思い出されていました。
A級戦犯である木村氏とご近所で知り合いだった!なんてお客様もいらっしゃいました。

こちらはA級戦犯28名の被告うち絞首刑を執行された7名が、絞首台にあがる直前に手錠をかけられたまま書いたという直筆の署名です。
アメリカがA級戦犯を起訴したのは昭和23年の4月29日の昭和天皇の誕生日。
絞首刑が執行されたのは、昭和23年の12月23日の現在の天皇陛下である今上天皇の15歳の誕生日にあたる日付でした。これは今上天皇に処刑の事実を常に思い起こさせるために選ばれた日付であるといわれています。
また、A級戦犯として処刑された7人の遺体は、遺族の元に返されることなく、遺灰として太平洋に撒かれたのだといいます。

パール判事に感銘を受けた下中彌三郎はパール判事を東京裁判の4年後に日本に招待しました。
その招待に際し「パール博士招聘委員会」が設立されたが、その委員会メンバーを記した巻物の中には昨年9月に散策倶楽部で訪れた茶室、白雲洞の主である日本近代三茶人の一人、松永安左ヱ門の名前も記されていました。

日本に招待された際、広島で開催された世界連邦のアジア会議にも出席しました。
写真は国境のない地図であり、世界連邦の理想を掲げています。

2階の展示物も皆様興味津々で見られていました。


戦中を生き抜いてきたお客様もたくさんいらっしゃり、廣川さんが語る戦後の歴史秘話を感慨深げにお話を聴いていらっしゃる姿が印象的でした。

記念館の外には記念碑が飾られています。
前述の国境のない世界地図の上に掲げられた二人の世界平和への思いが刻まれています。

桜咲く中、廣川さんを囲んで記念撮影です☆
皆さん、とってもステキな笑顔です!!


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