エクシブ箱根離宮 散策倶楽部
『箱根八里を辿る① 《小田原宿~風祭》 編』
2015年5月12日(火)

2015年5月12日、4月に続いて今年度2度目の散策倶楽部です☆
今回は、3組7名のお客様に参加していただき旧東海道を歩く箱根八里の旅第一弾・小田原宿から風祭までの一里(約3.9Km)を巡ります。
天候が心配されますが・・・みなさまと箱根八里の走破ならぬ踏破へ向けて出発です!


集合は箱根の玄関口である小田原駅です。

小田原駅からバスに揺られ山王口停留所にある小田原宿の開始地点・すなわち今回の散策のスタート地点まで進みます。

山王口停留所近くにある東海道小田原宿に到着しました。
小田原宿は、日本橋からの道中で最初の城下町である宿場です。城下町ならではの街の造りなどを学びながら行きます☆
江戸から京都に向かうにあたり、小田原宿で2泊目の宿をとる方が多かったそうです。

今回ガイドをしてくださるのは「小田原まちづくり応援団」の一員、渡辺さんです!
渡辺さんは普段、昨年の大河ドラマで有名な黒田官兵衛の末裔・黒田長成の別邸、清閑亭の管理をしていらっしゃいます。
国の有形登録文化財にも指定される清閑亭は小田原の高台に位置し、景色を楽しみながらお茶を頂くことができるとってもステキな場所です♪

こちらは渡辺さんに持参していただいた
トランシーバー兼イヤフォン?です。
なんと一人ひとりイヤホンをつけての案内です!交通量の多い小田原の街中でも渡辺さんのお話を聞き漏れることなく自分のペースで歩けるという街めぐりには必須のアイテムです!

今回から散策倶楽部に加わった新入社員の吉村も装着完了!

え~、マイクテスト!マイクテスト!

さて、小田原宿一里の出発です!!
出発して間もなく第一のスポットがありました。
小田原城下に入る東海道の東の出入口として、西の板橋口とあわせて城下を警護する重要な門として担っていた「江戸口見附跡」です。

この地は、戦国時代、北条氏の統治下にあった時には小田原城内・外の区切りとして土塁が積まれていたとのことです。
ヨーロッパの城によく見られる城壁と同じ役割を果たしていたものです。

ここから、江戸時代の旧町名の書かれた石柱を辿って旧東海道を歩きます。
この石柱、小田原市に合計84個もあります。
私も小田原在住ですが後日、家の近所にもたくさんこの石柱があることに気づきました。

現在の国道1号線より離れ、旧東海道はここからクランクに曲がっていきます。
さてこの町名、皆様なんと読むでしょうか。
まんちょう…?いや、よろづちょう?
よろづちょう、間違いではありません。しかし、それでは地元民によそ者だな…と思われてしまうとのこと!
なんと「よろっちょう」と呼ぶと地元民認定されるとのこと!今度小田原にお越しの際は是非よろっちょう、使ってみてください☆

クランクに曲がった先にあるこちらの道。
現在はかまぼこ通りと呼ばれています。その名の通り小田原名物であるかまぼこ屋さんが立ち並んでいます。
また、旧街道の幅は3間(約10m)。
ちょうどこれぐらいの幅だということです。

道中、散策倶楽部スタッフの中嶋おすすめの小田原おでん屋さんもありました。
以前散策倶楽部でもお邪魔させていただきました。

またちょっとかまぼこ通りから外れたところにガイドの渡辺さんが小さなころから足しげく通っているたこ焼き屋さんがありました。
しかし、このたこ焼き屋さんは5月末で閉店してしまいました。残念…

そしてたこ焼きやさんのすぐ近く、少し早目ではありましたがみなさんお待ちかねの本日のランチスポット「清風楼」さんに到着です。
ただこの入口、通りに面していますが実は裏口。
正面玄関に向かって裏道を通りました。

清風楼さんは文久2年(1862年)に創業したうなぎ屋さん。
終戦当日、空襲にあい焼失。現在の建物が建てられました。
花街であったこの地域。お忍びで入店するよう、裏通りに正面玄関を設けているのです。


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