まずこちら、ヨロイヅカファームの駐車場にあるこちらの巨岩。
石垣山は石切り場としても有名で、江戸城の石垣に使われている石なども切り出されているとのこと。箱根の溶岩で出来ているのです!現在では墓石にも使われる良質な石です。
岩の上の部分にある凹凸は、杭を打ちつけて岩を切り出した跡です。この岩を早川沿いに下ろし、江戸まで運んだなんて!と考えると途方にくれます。。。
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そして一夜城跡についに足を踏み入れていきます。みなさまが歩いているのは城の大手口の部分です。岩がごろごろしているのは関東大震災の際に崩れてしまったとのこと。
先ほどから一夜城と言っておりますが、その名前の由来は秀吉の一夜城伝説にあります。秀吉は築城にあたり、石垣山山頂の林の中に塀や櫓の骨組みを造り、白紙を張って白壁のように見せかけ、一夜のうちに周囲の樹木を伐採し、それを見た小田原城中の将兵が驚き士気を失ったためと言われています。しかし、実際にはのべ4万人が動員され、天正18年(1590年)4月から6月まで約80日間が費やされました。
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展望台に登ると小田原の街並みを見ることができます。
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眼下には、小田原城が…
秀吉や官兵衛もここから小田原城を眺めていたんだなぁ、と少し武将気分を味わいました!
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そして最高地点、天守台へ到着です!箱根板橋駅から歩いてきて遂に到着。
感慨もひとしおです。
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ここで、山本さんの着ているこちらの法被。後ろのこの模様は北条家の家紋です。
「三ツ鱗」みつうろこ と呼ばれるこの家紋は、北条氏初代執権・北条時政が江の島弁財天に子孫繁栄を祈願したとき、美女変身した大蛇が神話を告げ、三枚の鱗を残して消えたことに因むといいます。
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熱心な山本さんのガイドで参加者の皆さんは、前のめりになってメモを取りながらお勉強です♪
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本丸から二の丸を眼下に覗き込みます。
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北側の展望台からは、箱根連山を眺められます。
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下のほうを覗き込む参加者のみなさん。いったい何があるんでしょう?
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眼下に見えたのは、こちらの井戸曲輪。淀君の化粧井戸とも呼ばれています。
井戸は二の丸から25mも下がったところにあり、もともと沢になっていた地形を利用したようです。今でも湧き水がでています。それにしても驚かされるのはこの石垣。
秀吉が滋賀から呼んだ穴大衆(あのうしゅう)という石垣施工を行った技術者たちによって作られましたが、80日間で作ったとは信じられない大きさ、造りです!
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こちら以前は井戸深くまで進むことができましたが、東日本大震災によって崩れ始めてしまい、現在は立入り禁止になってしまっています。
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そして次に山本さんにご案内頂いたのがこちら、石垣の角です。
こちらも穴大衆によって作られたものですが、算木積みとよばれ、長い石を交互に組み交わして角を作ったそうです。
この一夜城は、すべて自然石の形をそのまま活かした野面(のづら)積みという方式で石垣が組まれています。穴大衆のレベルの高さが表れている石垣です。
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ここから背後に回ると、きれいな野面(のづら)積みの石垣が今でも残っています。
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野面(のづら)積みの石垣を前に補足説明するスタッフの中嶋も熱弁をふるいます!
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そしてそんな石垣の前で記念撮影♪みなさんの笑顔を見ていればどんなに楽しかったかがわかりますね♪ちなみに参加者はみ~んな女性!ハーレム状態でご案内頂いた山本さん、本当にありがとうございました!
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