エクシブ箱根離宮 散策倶楽部
『箱根八里を辿る① 《小田原宿~風祭》 編』
2015年5月14日(火)

こちらは「なりわい交流館」さんです。
1932年に創業した網問屋を再整備し、現在は近隣住民や観光の方の憩いの場として使われています。

ここから国道一号線に沿って箱根方面へ向います。

さらに国道一号線を進んでいくと、今日の3つ目のメインスポット、「ういろう」さんに到着です。
遠目にも目立つ外観で、近づいてみるとさらに圧巻!
「ういろう」さんのこの特徴的な建物の造りは八棟造りと呼ばれ、地震で崩れることもありましたが、そのたびに再現されています。

「ういろう」の25代目ご主人の外郎武さんに店内奥にある蔵をご案内いただきました!
観光の街として回遊性のある見所を整備したいとの思いから、「ういろう」の店舗の奥にある明治18年築の蔵を改装して、外郎家に伝わる様々な所蔵品を公開しているのが、「外郎博物館」です。
なんと営業時間内でしたら店頭で博物館を見学したいと声をかけると、社員の方が無料でご案内頂けるとのこと!
是非、箱根離宮へお越しいただいた際に足をお運びいただければと思います♪

「ういろう」といえば、名古屋と思われている方が多いかと思いますが、実は「ういろう」発祥の家が小田原に存続していることは知る人ぞ知るところです。
さらにその歴史は、650年ほど前の中国の元(げん)の時代に遡ります。
元は、1368年に明(みん)に滅ぼされますが、このとき、日本における外郎(ういろう)家の初代となった陳延祐(ちんえんゆう)は、命からがら日本に亡命し、九州の博多に行き着きました。
陳一族は、延祐が、中国で「礼部員外郎(れいぶいんがいろう)」という役職についていたため、その官職名の一部をとり、後に、日本では「外郎」姓を名乗るようになりました。
延祐は、製薬や医術に関する中国伝来の知識・技術を持っており、それを二代目の宗奇(そうき)が継ぎました。
宗奇は博多を離れ、京都に上り、足利将軍に仕えました。宗奇が処方する薬は、効果があり、朝廷や幕府の人々に重用され、当時の天皇から「透頂香(とうちんこう)」という名前を授かりました。
ちなみに、お菓子の「ういろう」を生み出したのも、この二代目の宗奇です。将軍に信頼された宗奇は、外国使節の接待なども担当しており、その接待に用いたのが、今に伝わるお菓子の「ういろう」です。

五代目の定治の時代、永正元(1504)年に戦国時代の幕開けとなった戦国武将、北条早雲の招きに応じて、小田原に移住してからも500年以上商いを続けられています。
江戸時代にはこれから箱根の山を越える旅人達のお守りとして透頂香が購入され、お店は繁盛しました。
また歌舞伎俳優の二代目市川團十郎が持病で声が出なくなった際には、「透頂香」を服用したことにより病がすっかり治り、そのお礼にと演じたのが歌舞伎十八番の「外郎売」と言われています。


出発前にういろうさんの前で集合写真を撮りました♪
ご主人の外郎社長は、お着物を着てのご登場で、お客様にとっても、スタッフにとっても嬉しいサプライズでした!
ういろうさんの歴史や健康に対する考えを聴くことができ、他にも市川団十郎さんの「外郎売」の衣装等、貴重な資料を観ることができ、とても貴重な時間でした♪
外郎社長!ためになるお話をありがとうございました!

お着物で出迎え頂いたういろうさんを出発し、再び国道沿いを進んでいきます。

途中にうす皮あんぱんが有名な「柳屋ベーカリー」さんを見つけました。

ショーウィンドゥには大正金時をはじめ、栗白、うぐいす、いも、宇治抹茶など10種類ほどのあんぱんが並んでいました!

国道をはずれ、少しわき道を進んだところに、こちらの山角天神社があります。
地元では「天神さん」の愛称で親しまれています。
菅原道真が祭神とされています。

神社へつづく、急な階段にみなさんびっくり!
今回は麓からのご案内に留めておきます…。

この山角天神社の脇の上り坂を上っていくと、今日のガイド渡辺さんが普段勤めていらっしゃる「清閑亭」さんがあります。
清閑亭は明治時代に活躍した黒田長成侯爵の別邸です。
ちなみに、黒田長成は豊臣秀吉の軍師として活躍した黒田官兵衛の直系にもあたります。

こちらは、前述の「ういろう」家の菩提寺である法華宗系単立寺院の玉伝寺へ続く参道です。
左手に続く上り坂をあがっていくと
童謡作家:北原白秋が立てた「みみずくの家」があります。
みみずくに似た見た目からこう呼ばれたのだといいます。

再び国道一号線沿いまで戻り、「居神神社」へ。
北条早雲との戦いに敗れた三浦荒次郎義意が1518年に自ら首を切り、その首が松にかぶりついたまま、3年間通行人達をにらみつけたのだとか。
これを和尚さんが成仏させ、ここで祀りました。

こちらは居神神社のお隣、「光円寺」にある春日局が植えたとされるイチョウの木です。
樹齢は400年以上と写真には収まらないほどの大木です!
江戸時代当時からランドマークになっていたそう。
みなさんが小さく見えますね♪

再び国道沿いから脇道を進みます。
みなさんにご覧いただいているこちらは、日本最古の上水道といわれる小田原用水です!
早川から流れを汲んでいます。
ちょろちょろと流れる水音が涼しげでした。

脇道をさらに進むと、1903年に建てられた「内野邸」に到着です。
こちらはお醤油を製造されていた住居兼醤油醸造工場でした。
お醤油を運搬するため、線路を建物内部まで引いていました。

風祭一里塚までのラストスパートを切り、途中で板橋の地蔵尊へもご挨拶♪
こちらは全長3.3メートルほどあり、1本の木から掘り出されたものなのだとか。
地元では「板橋のお地蔵さん」と親しまれています!
そして、お地蔵さんに見守られながら…

そしてついに一里を歩ききりました!
こちらが風祭一里塚です。
案内には「小田原の道祖神」の文字が見えます。

こちらで本日の散策倶楽部は終了です!
お天気にも恵まれ、最高の一里目を歩ききることができました。
今後、箱根八里制覇目指してがんばっていきましょう!
みなさん、ご参加いただきありがとうございました!!
最後に今日一日ガイドを務めてくださった渡辺さん、豊富な知識から楽しいお話をいくつもしていただきありがとうございました。
 


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