エクシブ箱根離宮 散策倶楽部
『箱根八里を辿る① 《小田原宿~風祭》 編』
2015年5月12日(火)

みなさん何度も訪れている場所であっても散策でしか気づかないところがたくさんあり、ガイド役の渡辺さんのお話に聞き入っています(^_^.)

その後、現在の国道1号線沿いに戻ると、街道沿いのお店を発見。
このお店は、サザンオールスターズの桑田佳祐さんのお父様が初代支配人をしていたレストラン「KONOMI」さん。
カニクリームコロッケが名物です♪

街道を歩いていくと、お城のような荘厳な建物が!お城にも良く間違えられるこちらは・・・

こちらは、本日第3のスポット「ういろう」さんです。
創業650年近い神奈川県で一番古い企業「ういろう」です。

「ういろう」といえば、名古屋と思われている方が多いかと思いますが、実は「ういろう」発祥の家が小田原に存続していることは知る人ぞ知るところです。
さらにその歴史は、650年ほど前の中国の元(げん)の時代に遡ります。
元は、1368年に明(みん)に滅ぼされますが、このとき、日本における外郎(ういろう)家の初代となった陳延祐(ちんえんゆう)は、命からがら日本に亡命し、九州の博多に行き着きました。
陳一族は、延祐が、中国で「礼部員外郎(れいぶいんがいろう)」という役職についていたため、その官職名の一部をとり、後に、日本では「外郎」姓を名乗るようになりました。
延祐は、製薬や医術に関する中国伝来の知識・技術を持っており、それを二代目の宗奇(そうき)が継ぎました。
宗奇は博多を離れ、京都に上り、足利将軍に仕えました。宗奇が処方する薬は、効果があり、朝廷や幕府の人々に重用され、当時の天皇から「透頂香(とうちんこう)」という名前を授かりました。
ちなみに、お菓子の「ういろう」を生み出したのも、この二代目の宗奇です。将軍に信頼された宗奇は、外国使節の接待なども担当しており、その接待に用いたのが、今に伝わるお菓子の「ういろう」です。

五代目の定治の時代、永正元(1504)年に戦国時代の幕開けとなった戦国武将、北条早雲の招きに応じて、小田原に移住してからも500年以上商いを続けられています。
江戸時代にはこれから箱根の山を越える旅人達のお守りとして透頂香が購入され、お店は繁盛しました。
また歌舞伎俳優の二代目市川團十郎が持病で声が出なくなった際には、「透頂香」を服用したことにより病がすっかり治り、そのお礼にと演じたのが歌舞伎十八番の「外郎売」と言われています。


現在社長の「外郎 武」さん自ら「ういろう」の誕生と歴史についてお話しいただけました!
ういろうさんといえばお菓子を思い浮かべる方が多いと思いますが、実は600年以上も変わらない作り方で作られている「透頂香」というお薬を求めて全国からお客様が訪れます!
参加のお客様の中にもこの透頂香を常備しているという方も!

観光の街として回遊性のある見所を整備したいとの思いから、「ういろう」の店舗の奥にある明治18年築の蔵を改装して、外郎家に伝わる様々な所蔵品を公開しているのが、こちらの「外郎博物館」です。
なんと営業時間内でしたら店頭で博物館を見学したいと声をかけると、社員の方が無料でご案内頂けるとのこと!
是非、箱根離宮へお越しいただいた際に足をお運びいただければと思います♪

ういろうさんを出発し、箱根八里を再度進み始めます!

途中にうす皮あんぱんが有名な「柳屋ベーカリー」さんを見つけました。
ショーウィンドゥには大正金時をはじめ、栗白、うぐいす、いも、宇治抹茶など 10種類ほどのあんぱんが並んでいました!

お次は、国道1号線を1本外れ…
「山角天神社」へ♪
こちらには日露戦争で活躍した瓜生外吉さんの銅像があります。

瓜生外吉さんの奥様は、日本近代三茶人の一人で千利休の再来と呼ばれた益田孝(通称:鈍翁)氏の妹さんの繁子さんです。
繁子さんは、日本初の海外留学生としてアメリカに渡っています。
同時期には、津田塾大学を設立した津田梅子さんもいらっしゃいました。

再び国道一号線に戻ると、道中には一本、大きな銀杏の木が立っています。
1604年に植えられ、小田原宿の上方口(京都方面)である板橋に立っているので当時の人はこの木を目安に歩いていたそうです。
またこの大銀杏はあの春日局が植えたといわれています。

旧東海道に入ると、昔ながらの建物が点在しています。
こちらの内野醤油さんは、1903年に建てられた建物です。
石造りに見えますがモルタルを使ったなまこ壁で出来ており、小田原市内でも恐らくTOP3に入る古い建物と思われます。

当時、目の前を路面電車が走っておりました。
路面電車といっても、主に荷物を運ぶ貨物列車だったとのことで、この内野邸へ直接レールを引いており、そのまま列車が入ってきたとのことです。
中には今でも醤油の樽が残っており、土日限定で中を公開しています。

続いて通りかかったのは、県の重要文化財の「地蔵尊」。
板橋のお地蔵さんとして小田原の人々に古くから愛され、1月と8月の23日は、この地蔵尊でお祭りが開催され、両日に訪れると亡くなった人にそっくりな方と出会えるという言い伝えがあります。

再び国道1号線沿いに戻り、箱根登山鉄道沿いの道を進みます。
ここまで来るとゴールは目前!

風祭駅の踏切を渡って、馬五郎橋と万松院川の橋を通ると・・・

ついに、本日の最終スポットである一里塚の「小田原の道祖神」に到着しました!

今回は小田原八里の内の一里を歩き着いたみなさん。
とても達成感溢れる表情をしていますね!
みなさんと共に私たちもたくさんお勉強することができました。


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