①堀秀政
記念すべき1人目は、先程供養塔を拝した「堀秀政」です。堀秀政は織田信長の家臣であったことから、同様に豊臣秀吉にも仕えました。小田原攻めの際には、先鋒として出陣を果たし、石垣山城の前衛として陣を構えて活躍しました。
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小田原城の敷地は全長9kmもあり、篭城戦に備えて、城内に町がありました。食べ物に困らないような工夫が施されており、城内には自給自足でしばらく生活できるよう、田んぼもあり、お城の壁の中には干瓢などが隠されていたのだといいます。こうやって一夜城の中腹から小田原城を眼下に眺めると、当時の様子もおぼろげに見えてきます♪
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今日はお天気にも恵まれ、遠く房総半島を臨むことができました。この景色が石垣山城への長い上り坂を上るモチベーションへと繋がります!
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②伊達政宗
続いての武将は独眼竜で有名な伊達政宗です!小田原攻めの際に全国各地から武将が集められましたが、
伊達政宗はその集合に間に合いませんでした。秀吉に謁見する際に白装束で現れ、秀吉からは「もう少し遅かったら、お前の首はつながっていなかった」と言われたのだといいます。
その後、伊達政宗は、エクシブ箱根離宮に程近い箱根底倉の地に幽閉されました。
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幼少期に右眼を失明し、独眼竜政宗の名前でも知られていますが、本人は独眼であることに触れられるのを嫌い、
残る肖像画には両眼を描かせたといわれています。また余談ですが、映画「スターウォーズ」に出てくるダースベーダーの頭を全て覆うヘルメット及びマスクは、伊達政宗の兜を参考にしているとのこと。皆さん、次第に熱弁をふるう山本さんのお話に引き込まれていきます!
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③宇喜多秀家
続いての武将は、宇喜多秀家です!備前岡山城主宇喜多直家の子で、秀吉の養女の娘を妻としました。
小田原攻めの際には水之尾あたりに陣を構えました。
北条氏直の弟、北条氏房と城が近く、その城越しに表情も伺えたのだといいます。
そのため秀家は秀吉側でありながらも、氏房と仲が良く、争いの最中にも関わらず、互いにお酒を送りあったそうです。
秀家は小田原城攻めから10年後の関ヶ原の戦いでは敗戦を喫し、幕府からの追及を受けたのちに、八丈島への初めての流人として罰が執行されました。
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やっとのことで、中間ポイントに到着です!あと半分頑張りましょう!!頑張った分だけ、ますますランチが楽しみに!おいしさも増しますよ~!
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④徳川家康
中間ポイントの紹介人物は徳川家康です!三河岡崎城主松平広忠の子で、娘を北条氏直に嫁がせ、北条氏と共に秀吉に対抗しました。その後秀吉と和睦し、小田原攻めに参加し、「北条氏へ寝返りしません!」というアピールのため、最前線であり、防御しずらい平原の小田原城北東側に陣を置きました。
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⑤羽柴秀次
お次は羽柴秀次。秀吉の姉の子で、近江八幡山43万石の城主です。小田原攻めでは先鋒として山中城、韮山城を落とし、
その際に使用した銅鐘が、先程説明したように、曹洞宗小田原三山のひとつの総世寺に寄進されています。
秀次はこの後に、秀吉の養子となり関白に就任しましたが、秀吉に待望の実子が生まれると、切腹へと追いやられました。
跡継ぎをめぐる悲劇の武将として知られています。
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ガイドの山本さんからは、小田原攻めの布陣と当時のエピソードを踏まえて武将を紹介していきます。
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⑥千利休
和泉堺の納屋衆千与兵衛の子で茶の湯を武家に広めた功労者です。
千利休は秀吉に従い、小田原攻めに同行した際、伊豆韮山の竹を取り寄せて、初めて「竹花入れ」をつくったのだといわれます。
一重切の「園城寺(おんじょうじ)」、逆竹寸切の「尺八」、二重切の「夜長」とその際に3つの竹花入れをつくりました。まず利休は、園城寺を秀吉に献上しましたが、秀吉は気に入らずに投げ捨ててしまいました。
尺八を献上したところ、大変気に入り秘蔵していましたが、利休死罪を受け、怒りのあまり投げて割ってしまったのだといいます。また、夜長は「秀吉の世が長く続きますよう」祈りを込めて作成したものです。どれも秀吉のために作られたものだったのですね!
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⑦淀殿
ゴールへと近づいて来ました…!淀殿は、近江小谷城主浅井長政の娘で、茶々の名でも知られています。
秀吉の側室となり、秀次と跡継ぎ争いとなった「秀頼」を身ごもります。その際に、非常に喜んだ秀吉が
淀城を与えたことから「淀殿」と呼ばれるようになりました。
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途中でコスモス畑がありました!小規模ながらも満開にコスモスが咲きわたる様子はゴール地点までのあと一歩を、もう一押ししてくれるようです。
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⑧豊臣秀吉
そしてとうとう最後の看板です!最後はなんといっても豊臣秀吉です。織田信長に仕え、その後継者となって全国統一を進めました。
秀吉は、東国攻略に乗り出すも、北条氏が従わず、その攻略のためにこの石垣山の地に城を築いて、小田原城の北条氏へと攻め入りました。石垣山城は「一夜城」とも呼ばれ、一夜にして築いたといわれますが、実際には約80日を費やして築かれました。午後には、その跡地を散策します!
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さて、箱根板橋駅出発から1時間半をかけ、やっとのことで「一夜城ヨロイヅカファーム」さんに到着です。
平日にも関わらず、車や観光バスも多くいつもにも増してお客様でいっぱいでした!
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なんといっても、今日はオーナーシェフである鎧塚さんがお見えで、はるばる海外からのお客様も多くいらっしゃったようです。お食事をいただいている間に、鎧塚さんから各テーブルをまわってのご挨拶をいただきました。やさしい目元が印象的でした!
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