エクシブ箱根離宮 散策倶楽部
『地元民がご案内!箱根路地裏散策vol.16 甘酒茶屋編 ~江戸の石畳を巡る~』
2014年12月18日(水)

こちらの石碑は「史跡箱根旧街道」の文字が厳かですね。
いよいよここからが本格的な石畳!少し急な坂道が続きます。

連日開催した今回の散策倶楽部ですが、昨晩のうちにうっすら雪が積もったようです。
足元に気を配りつつ、情緒あふれる旧街道を進んでいきます。

こちらの石畳の横に生えているものは、「ハコネダケ」と呼ばれる竹の一種です。
江戸時代に旧街道は石畳へと整備されましたが、石畳以前は、こちらのハコネダケが敷き詰められていたそうです。すぐに痛んでしまうため、年に何度も取り替える必要があり、当時はかなりの人手とハコネダケを要しました。また、雨の日はすべりやすく危険なものでした。

整備されたとはいっても、石の大きさは様々。ハコネダケよりは歩きやすいものの、ゴツゴツとして、決して歩きやすいものではありませんでした。

箱根湖畔から上ってきたこの坂は「権現坂」と呼ばれます。
今は木々に囲まれ、見ることができませんが、当時はここから箱根権現、現在の箱根神社を望むことができました。箱根関所から抜けた人は、ホッと一息、これから箱根関所へ向かう人は、ハラハラとした気持ちで箱根権現を眺めたのだといいます。

源頼朝も箱根権現へ参拝に訪れていたため、このルートを通りました。大庭景親などの平氏方に敗れた源頼朝は、行実とその弟永実を頼りに箱根権現へ匿われていたことにより、生涯、箱根権現への信仰心が厚かったのだといいます。

人や馬だけではなく、珍しいものでは「象」もこの石畳を歩いたのだとか。慣れない環境のためか、象は石畳途中で病に倒れ、人々は必死で看病を行ったのだといいます。

上り坂を進んでいくと少し開けた空間へ出ました。
右手上の木々のうしろに二子山を確認できます。

みなさん、何をみていらっしゃるのでしょう…?

江戸の当時から残る石碑の道案内板でした。
深彫りのため、現代でも読みやすい状態で残っています!
ここには芦之湯にある六道菩薩への案内が書かれているようです。

木々の間から差し込む日差しがあたたかで、寒い中歩いているにも関わらず、少しあせばむような陽気となってきました。

途中、二子山の形をくっきりと見ることができました。
むかって左手が上二子山、右手が下二子山です。下二子山に関しては、保護区として進入を防ぐため、有刺鉄線が張られているそうです。登ることはできませんが、その山頂からは富士山や東京を望むことができるそうです。

また、山頂付近にはハコネコメツツジと呼ばれる富士火山帯特有のとても小さなツツジが生息しています。
あまりに希少性が高いため、かつては盗掘が相次いだ影響で現在、下二子山は立ち入り禁止エリアとなっています。

こちらは、「天ヶ石」と呼ばれる約2.4メートルの岩です。
この岩からつづく坂は天ヶ石坂と呼ばれます。
手前の石の標識にも「天ヶ石坂」の文字がみえますね!

旧街道も芦ノ湖からの道のりでは最高地点を越え、急な下り道となってきました。

今回、お客様には歩きやすい靴と軽装にてご参加いただいていますが、当時といえば、わらじに重たい旅道具を担いで山を越えていました。
暗くなる前にこの道をぬけなくてはならず、休むことはできませんでした。


<<< 前のページへ


>>> 次のページへ