エクシブ箱根離宮 散策倶楽部
『学芸員がご案内!美術館めぐりvol.6 熱海番外編
 ~エクシブ湯河原離宮建設予定地と琳派:尾形光琳の国宝揃い踏みを巡る~』
2015年2月25日(水)

行列を横目に美術館内の能楽堂へ♪
学芸員の方より今回の展示、「尾形光琳300年忌記念特別展『燕子花と紅白梅』光琳アート-光琳と現代美術」について解説トークをしていただきます。
この能楽堂は501人の動員が可能で、取り外し可能な目付柱、ワキ柱を採用することで能だけでなく、美術講座や映写会など多目的に使用されています。

モニターで画像を観ながら説明をしてくださいます。
光琳の二大傑作がそろうのは、今回の300年忌記念特別展で実に56年ぶり!
昭和34年に今上天皇(現在の天皇陛下)ご成婚を祝して根津美術館にて開催されたとき以来なんです!!

能楽堂での説明をおえたあとには、2班に分かれて、企画展の展示鑑賞と尾形光琳の屋敷を交互に見学していきます。

まず、私のついた上榁班では先に美術館内の見学です!
館内ももちろん人!人!!人!!!
国宝を見るためには5分ぐらい並ばなければいけません。

MOA美術館は光琳一色!
光琳の様々な視点や、光琳に対しての尊敬を伝えています。

さて、午前中は美術館はそこそこに、光琳屋敷の見学へ参ります!

この光琳屋敷はMOA美術館の創立者である岡田茂吉さんが美術館の創立3周年の際に、江戸時代に焼け落ちてしまっていた屋敷を復元させたものです。
京都の新町通りに面していた光琳屋敷は東西南北の向きまで忠実に復元され、陽の入り方などからも光琳のこだわりが見てとれます。

さて、屋敷の内部に入らせていただきました。
通常であれば外部からしか見学することのできない光琳屋敷。
今回は特別に中を見学させていただきます!

光琳屋敷に入ってすぐの客間には
ふすまを開けてすぐの下座に床の間があります。
本来であれば、上座にあるべき床の間…
光琳自らが描いた2部の図案から光琳はあえて下座に床の間を配置したということがわかります。
何故光琳はこの場所に床の間を配したか、思いをめぐらせながら屋敷の中へ進みます。

大阪の赤土に、「光琳波」の美しいこの壁には現代にも通じるモダンな印象を受けました。
この模様は京都の唐長さんから版木を取り寄せ、デザインしているもの。
光琳の指示で、当時は白い壁が採用されていました。壁は取り外し可能なものであったことから、壁一面をキャンバスのように使用する狙いがあったのではと考えられます!

さて、ここで上榁さんからクイズです!
この襖に描かれている丸い文様、一体何の文様でしょう…?
お客様からは柿、みかん、おまんじゅう!など食べ物の名前が飛び交います。
正解は「菊」!
まんまるなシルエットの、ピンポン菊といわれる菊の一種がモチーフです。和菓子にも「光琳菊」と呼ばれるお菓子があるのだそう。

一部屋一部屋進むごとにふすまの図柄が替わるので皆様部屋に入るたび真っ先にふすまに注目です!
優雅な蝶はひときわ女性たちの人気を集めていました。
蝶の描かれるこちらの文様は「光琳蝶」ではなく、琳派の祖、本阿弥光悦にちなみ、「光悦蝶」と呼ばれるそうです。

光琳屋敷の中でも一番奥の間。ひっそりと2つめのお茶室がありました。
ここで屋敷に入ったときに生まれた疑問の答えが。。。

実は、このにじり口から玄関の方を覗き込むと、
ちょうど始めにご案内した下座の床の間を伺うことができるのです!
上榁さんの推測のお話、とのことでしたが、このお茶室で過ごすことが多かった光琳は、玄関から入ってくるお客さんの様子をここから見ていたのでは…とのこと。
床の間に光琳は自身の作品を飾り、何も知らずに入ってきたお客さんの正直な作品への反応を伺っていたのではないかとのこと…!
お茶室は、屋敷の中でも特に自然に溶け込んでしまうような、それでいて背筋の伸びるような尊い空間でした。


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