エクシブ箱根離宮 散策倶楽部
『箱根八里を辿る① 《小田原宿~風祭》 編』
2015年5月14日(火)

五代目ご主人の中山さんのお迎えを受け、早速中までご案内いただきます♪

入口にはうなぎが彫られた看板が飾られていました。
幕末1862年創業の清風楼さん。
装飾品ひとつひとつをとっても趣を感じられます。

入口横にある名前看板横には、うなぎの透かし彫りがあり、とっても素敵でした♪

こちらは五代目ご主人のお母様、四代目ご主人の奥様が嫁入りの際に、ご実家から持ってきたのだという小室翠雲作画の衝立(ついたて)です。
太い幹の立派な松が印象的です!

小室 翠雲(こむろ すいうん、1874年8月31日 - 1945年3月30日)は、日本画家、南画家。文展開設にあたって正派同志会副委員長として文展新派に対抗した。文展審査員・帝展審査員をつとめた日本画の大家。


1945年終戦の日の8月15日。小田原では空襲があり、清風楼さんも建物の一部が焼けてしまいました。
材木も少ない時代であったため、ところどころ木々を加工せずに使用し、作り直している箇所があります。
手前の持ち手ところもその跡だそう。
却って、いい味を醸し出していますね!
階段を上がり、2階へ進みます。

2階の宴会場へご案内いただきました♪
代表作「東京物語」が有名な小津安二郎監督もなじみにしていたという、こちらの清風楼さん。
当時清風楼さんでは、芸者さんは250人もの登録がありました。
その中でも小津安二郎監督は千丸さんという芸者さんを贔屓にしていたのだといいます。
世間では女優の原節子さんとの恋仲も噂されていましたが、監督の周囲では千丸さんと一緒になるものだと考えられていました。
小田原は映画の町であり、他にも黒澤明監督も清風楼さんを贔屓にしていたのだといいます。

こちらは海が近くにあり、縁起もいいと考えられていることから、舟を模した数奇屋風の料亭造りになっています。
こちらのお部屋も舟形の屋根が特徴的です。
船底のような曲線がわかりますか?
舟に乗り込んだ気分でお客様に楽しく酔って欲しいという思いがあるそうです!

他にも、床柱は水車の柱を利用したもので、水関係のものが使用されています。
この界隈では「水」を大切にしており、小田原の花街が衰えてしまったのも、バイパスができたことにより海からの水の流れがせき止められたからという話があるそうです。

こちらのお人形は美しい顔立ちに繊細な模様のお着物が素敵でした!
みなさん感嘆の声を漏らされていました。
小田原が芸者の町としても栄えていた当時、このような芸者さんが何百人とこの界隈を歩き、花街を賑わせていたのです。

昭和期の写真を見せていただきました♪

こちらは節分の日に行われた仮装パーティの写真です。
こちらは昭和のものですが、江戸時代を思わせるような仮装が雰囲気を醸し出していますね♪

ガイド役の渡辺さんからのご説明も一段落おえ、いよいよランチの鰻重をいただきます。
創業以来変わらないという秘伝のタレを使用して焼き上げられています。

みなさんでひとつのテーブルを囲んでいただきます!

鰻重をおなかいっぱいいただいたところで、五代目ご主人の中山さんから改めてご挨拶です。
ランチのあとは料亭内をご案内いただきました!


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