エクシブ箱根離宮 散策倶楽部
『地元民がご案内!箱根路地裏散策 vol.21 早川編~知られざる遺構と小田原伝統文化を探る~ 』
2015年12月10日(木)

最近は12月とは思えない、ぽかぽかとした気候がつづいています。そんな散策日和な今回の散策俱楽部は早川にある木工所2軒やお土産屋さん等を訪問し、お昼には早川漁港で新鮮な魚介を使ったランチをお楽しみいただきます!今日は3組3名のお客様にご参加いただくことができました♪

ホテルでの本日のスケジュールのご案内をおえ、早速宮ノ下駅へ♪今回は箱根登山鉄道にて宮ノ下駅から小田原駅を経由し、JRで早川駅まで向かいます。
今回は新型車輌アレグラ号への乗車に加え、面白い車内アナウンスが名物の「落合車掌」にお会いする、という嬉しいサプライズがありました!
そして、落合車掌から少し早めのクリスマスプレゼントをいただきました♪お心遣いが嬉しいですね!落合車掌の楽しいアナウンスを聴きながら、お客様同士で楽しくお話に花を咲かせていらっしゃいました。気づけば早川駅へ到着です!
早川駅で本日のガイドを務めてくださる「山本篤志」さんと合流しました。山本さんには去年10月、前回の10月の散策倶楽部開催時に同じくガイドを務めていただいています♪山本さんと顔なじみのお客様もいらっしゃいました!
早川駅で一番初めに向かったのが、真福寺の観音堂「早川観音」です。境内には文学者・川崎長太郎の歌碑があります。川崎長太郎はこの早川観音まで散歩に出て、檀家のおばあさんが運営していた茶店で、黒砂糖を使ったお菓子を食べることが大好きだったといいます。

小田原駅からは早川駅に向かう電車からも見えていたこちらの観音様は東善院「早川魚籃大観音」といいます。魚が入った籠を手に提げた珍しい観音様です!遠くからも目立ち、インパクトが大きいため、こちらを先ほどの「早川観音」と間違えてしまう、観光客の方も多いのだとか。海の方を優しくみつめる姿が印象的でした。
観音様に本日の散策が見守っていただけるようお願いをしたところで、早川名物の干物屋さんの「カネダ前田商店」さんへ。今回は物販へ伺うのみでしたが、土日には干物づくりの体験をしていただくことができます!
つづいて、大正15年創業の「露木木工所」さんへ。創業時は箱根の畑宿で店舗を構えていらっしゃいました。箱根は職人さんの町であるということ、木の種類が豊富であるということから、箱根細工が生まれるには絶好の地域だったようです。
写真左手は露木木工所4代目の「露木清高」さんです。私たちがよく目にしている寄木の模様は細かなものが多いですが、寄木細工が生まれた江戸時代末期には「乱寄木」という大きな模様のものが代表的でした。「本来寄木のデザインは自由な発想で生まれるもの」と露木さん。露木さんの作品には伝統とモダンを組み合わせた斬新で魅力的な作品がたくさんありました!
つづいて、「朝翠養蜂所」へ伺いました。写真右手前にいらっしゃるのが副社長の青樹さんです。箱根離宮のショップでも販売している「はちみつ一口まんじゅう」にもこちらの蜂蜜が使用されています。みなさんで蜂蜜を食べ比べし、たくさんご購入いただきました♪スタッフの中では、「みかんの花の蜂蜜」が爽やかでふわっとお花の香りがして特に大好評でした!
朝翠養蜂所さんを出発し、漁港界隈を歩いていきます。こちらの早川漁港では年間3000トンもの水揚げがあるのだとか。たくさんの漁船が泊まっていました。

さて、お待ちかねのランチスポットへ!海の近くならではの新鮮採れたての海鮮をみなさんにお召し上がりいただきます♪こちらの「わらべ菜魚洞」さんは平日にもかかわらず、店内には大行列ができあがっていました!
豪華な海鮮丼です!みなさんボリュームにびっくりされていました!たくさんの種類の魚介が並んでいます。

こちらはカニ汁です。汁物はカニ汁とあら汁で選ぶことができました!海鮮丼と汁物に加え、魚のフライもしくは魚の煮付けをみなさんにはお召し上がりいただきました★
みなさんでひとつのテーブルを囲んで、早速いただきます~!


お昼ごはんをたっぷりいただいたあとには早川2軒目の木工所へ。こちらは「大川木工所」さんです。写真奥に写っていらっしゃるのが大川肇さんです。実際に木工作品作成する作業所をみせていただきました♪
大川木工所さんでは木地挽きのものを制作されています。ろくろで材木をまわし、刃をあてて削っていきます!力加減を誤ると材木がろくろを外れ、材木が飛んでいってしまうのだとか…。写真右上のガラスの補強テープはその跡です。作業所を見せていただいたあとにはたくさんの漆器が並んだ販売所を見せていただきました♪
つづいて、早川口遺構へやってきました。こちらは山本さんの得意分野で、山本さんの解説にも力がこもります♪



早川口遺構とは、小田原城の外郭「総構」の西側の出入口の一つです。北条氏は豊臣秀吉の攻撃を警戒し、総延長9㎞にもおよぶ「総構」を築いて、小田原城のみならず城下町も含めて守りました。秀吉軍が西側から攻めてくる事を警戒し、二重に土塁を積み上げて守りを強化したと考えられています。山本さんお手製の資料を参照しながら、今も残る地形の謎を解いていきました!
つづいて、早川口遺構から国道一号線にむけて歩いていきます。こちらの通りは「御厩小路」といいます。この石碑のある付近に小田原藩の馬屋があったことからこの名前がつけられたのだといいます。





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