左側が兄、曽我十郎地蔵菩提立像、右側が弟、曽我五郎地蔵菩提立像です。それぞれ箱根町の重要文化財、神奈川県の重要文化財に登録されています。五郎地蔵に関しては、細かい作りが施されていることから、鎌倉末期に作られてものあることがわかります。対して、十郎地蔵は比較的質素な作りであることから室町時代に作られたものとされています。
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曽我兄弟の仇討の話が広く伝わっているのは、室町時代に物語が作られた後、琵琶法師や、歌舞伎によって、世間に広められてきたからでしょう。
同じく琵琶法師によって語り継がれてきた「平家物語」と時代や背景も表裏をなすという点で、曽我物語もより興味深いものとなっています。
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この「曽我堂」の文字は、「幕末の三舟」に数えられる「山岡鉄舟」によって書かれたものです。
山岡鉄舟も禅宗を重んじていたというところから、ゆかりがあったのかもしれません。
※幕末の三舟・・・幕末から明治時代初期にかけて活躍した幕臣である勝海舟、山岡鉄舟、高橋泥舟の3名の総称。
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そして曽我堂の脇には、たくさんの方々の名前が連なった板が掲げられていました。参加者の皆さんも知っている名前が。いったいこれは・・・
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明治維新の際に焼失した「曽我堂」は、大正時代の再建にあたって、歌舞伎役者の方々が寄付をされました。
その方々の名前がたくさん掲げられているのです。歌舞伎に詳しい方に伺えば、著名な方々ばかりだということがわかるはずです!
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曽我兄弟十郎・五郎のそれぞれの装束の文様になっている「蝶」と「雀」の彫りも施されていました。
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この日は、特別に散策倶楽部参加の方限定で、明日から正眼寺で開催される「浮世絵 美人画コレクション」の先行拝観を許可していただきました。あちらこちらで、パンフレットを見かけて気になっていた展示会です。
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「浮世絵 美人画コレクション」は、境内にある「起雲閣」で開催となり、先代の住職、岩崎宗純氏が収集した箱根や小田原にまつわる作品が飾られています。曽我兄弟と所縁の作品も保管されています。
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曽我兄弟の物語が30枚の絵によって進められていきます。そのほかにもたくさんの浮世絵が飾られていて、時代や背景ごとに作品の特徴が異なってくるところも面白く感じられました。貸し切りの会場でゆっくりと観ることができました。
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正眼寺の前で、ご案内いただいた小野和尚ご夫婦といっしょに集合写真です。お忙しいところ、散策倶楽部のためにいろいろな特別手配をしてくださり、ありがとうございました!
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さて、正眼寺を出発したあとは、「箱根旧街道」を通りつつ、次の目的地へと向かいます。
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さこの箱根旧街道は、当初は石畳ではなく、箱根竹を使った道でした。竹を使った道は、頻繁な竹の交換も必要で、雨の日に滑りやすいという欠点があったため、石畳に変わっていったそうです。ちょっぴり江戸時代にタイムスリップです♪
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木漏れ日に、初夏の雰囲気を漂わせるような日差しがちらちらと揺れていて、とても美しく心地良かったです。
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さて、ランチ会場の「暁亭」に到着です。
張り紙通り、今回はこの散策倶楽部のために貸し切りにて、会場を用意してくださいました!
みなさんに、暁亭の素晴らしさを堪能していただきましょう!
ちなみにこちらの暁亭は、「日本の軍閥の祖」と言われ、内閣総理大臣を歴任した明治の元勲、山縣有朋の別邸「古稀庵」の離れとして作られたものです。以前は土日のみランチ営業をしておりましたが、今では、イベント開催時にしか使われていません。
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山縣有朋は、無類の庭好きとしても知られ、晩年に作庭した庭は、山縣三名園と呼ばれています。
三名園は、東京目白にある椿山荘、日露戦争開戦を決した京都の無鄰菴(むりんあん)、そして三名園の中でも最後に作られ、最高傑作と呼ばれているのが、小田原に建てられた古稀庵です。
この古稀庵に併設されていたのが今回のランチ会場の「暁亭」。小田原からご縁あって箱根湯本に移築され、正眼寺と同じく、国の有形登録文化財に登録されています。また、4月に散策倶楽部で訪れた吉池旅館内にある茶室は、元々この暁亭の茶室でした。
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